ビタースイート

人生は 甘くて苦い

暮らし方には、その人の生き方が映し出される。

こんにちは。体調を崩して家にいるのでブログを書きます。

 

 

私がよく飲みに行く人で、医療関係の仕事をしている人がいるのですが、その方が先日話していたエピソードがなんだかとても考えさせられるものでした。

 

救急車で運ばれてきた人や急に倒れてしまった方など、自力で病院に来れない人と対峙する機会が山ほどあるけど、そんなとき、その人の普段の暮らしが垣間見えてしまうのだとか。

 

当然ですが、救急車などで運ばれるからにはその人は予期してそこに運ばれてきているわけではないので、見られるという意識も準備もなく医療機関に向かうことになりますよね。だからある意味普段の(人に見られないと思っているときの)その人の様子がしっかりわかるなって思うことがあるらしい。

例えば、ものすごくヨレヨレのパジャマを着ていたりとか、何年使ってる?ってほど下着がボロボロだったり、引くほどびっくりすることが時々あるんだそうです。

 

一方で、最近突然倒れてしまった人を担架で運んで、その人のカバンから代わりに荷物を出してあげたとき、本当にきれいに整理されているバッグだったらしく「この人、きちんとしてるんだなあと一瞬とても感心した」と言っていました。

 

とにかく、普段ほかの人の前に出るときって準備できた状態で出るのである程度ちゃんとしているかもしれないけど、誰も見ていないとついつい、人にはとても見せられない事をしてしまっているようなときって、、ありませんか?(私はありました)

 

もちろん、リラックスした姿でいるのはいいと思うんですけど、万人が「くつろいでいる家モード=だらしない」というわけではない(リラックスしているのと、きちんとしてないこととは、ちょっと違う)と思うのですよね。

生きてると、緊急時に誰かに部屋を見られたケースとかも同じようなことがあるでしょうけど、私は以前「もし今私がここで倒れて救急車を呼んだら、適当に暮らしているのがまるわかりだなあ」って思ってしまう時がありました。

もっともそういう緊急事態が起きたら、ひどい状態を見てしまったほうの側はそんなこと言ってる場合じゃないし、こういう意見はある意味不謹慎なのかもしれませんが。

 

 

つまり何が言いたかったかというと、この話を聞いて「今は誰も見てないからいいや」みたいに思っていることって、自分が考えていた以上に多いなと意識したのです。

 

 

例えば、私は前の会社にいたとき、通勤時に人に見られることが少ないと思っていたので、本当に気を抜いた態度で車内や駅構内で過ごしていました。

足を組んで座っていたり、端の席に座っている時は、椅子のサイドにもたれかかったりなど。あと、ほぼすっぴんでいたりとか(会社に着くの早いし、会社ですればいいかと思っていた)。人に見られているときだったらできない態度をとっていました。

 

そんなある時、会社の人と世間話をしていたら「時々電車でやよいさんのことを見かけるんですよね」と言われたんです。そのとき私が凍り付いたのは言うまでもありません。

その人は「いつもと違って、すごく疲れた感じなので話しかけづらくて」と言っていて、ああ…見られてしまった…と思ってました。

 

同じ会社の人を電車で見かけることもめったになく、「この電車に乗っているときは会社の人なんかには見られてないだろう」と思っていたんです。

 

 

 

それに限らず、いざとなったときに他人に私の暮らし方を見られたらどうだろう?って、最近とみに考えていて。

「人に見られるからちゃんとしていないといけない」とか、「今は自分ひとりだからバレさえしなければ、どんな感じでもいい」ということではないような気がしてきているのです。

 

丁寧に毎日生活できてるなっていう時と、そうでもない、横着してるなって思う時とでは、やはり自分自身の状態も違ったりします。暮らし方が変わったら生き方も変わるっていうのは本当にそうかな、と思ったり。

 

最近はこまめに部屋がきれいかどうか(意識せずとも)気になるようになり、よく掃除もするようになりました。

 

 

 

 

 

最後になりましたが、5月から別ブログをはじめました。

美容や自分磨き的な内容が主になっていて、このブログと分けたいと思いまして。。

もしよかったらこちらもぜひ…

sanju.hatenablog.com