ビタースイート

人生は 甘くて苦い

出会い探しや婚活での失敗が重なると、こうなる。

今日は、決して暗くはない日記を書く予定だったのですが、ストレスを感じても睡眠にはあまり影響をきたさない私が昨日、久しぶりに真夜中に覚醒してから一睡もできなかったので、すこし頭に浮かんできたもやもやを言葉にします。

あ、予定していた(暗くはない)日記はまた近日中に書く予定です。

 

 

 

もやもやを抱えながら今日もいつもどおり仕事に行った。

 

当たり前のことだけど、私は今の会社では居場所がある。

 

とうよりは、「今の会社では自分の存在意義を感じやすい」といったほうがいいかもしれない。自分が社会というか会社の役に立っていることを実感できるから。

こんなことを言うのもどうかと思うけど、私がいなくなったら今の部署は打撃を食らうことは間違いない。同じ部署の若手の人間の中では私が一番しっかりしていると思うくらい、周りにイライラすることが多い。転職して今の会社に来てまる2年が経ったところだけど、今の会社には「この人みたいになりたい」と思う上司や先輩というのは、正直誰もいない。(誤解のないように言うと「嫌な人ばかり」という意味ではない。人間的にはとても好きな人も私と親しく話してくれる同僚もいる。でも、仕事のやり方を真似したいとか、自分より仕事ができてこういうやり方を見習いたいとか、新しい学びを得られるかどうかという意味では、そういう人はいない。)

 

いや、どちらかというと、今までの環境では優秀な人材に囲まれすぎて、ピリピリしながら生きすぎていたのだと思う。世間的に見たら、私は仕事ができる人間では決してない。けれど、いまの会社はわりとぬるい体質で「バリバリ仕事やってやろう」なんていう人は誰もいないので、私程度の低い能力でも、ここでは「仕事ができるほう」に入ってしまう。だから、それもあって「自分はこの会社の役には立っている」と思えてくることがあり、自分という存在の価値を認めてもらえたような気がしてくるのです。

 

「こんな会社やめようかな」と最近思ってた。仕事のやりがいもあまりなく、安定だけがいいところなので毎日もやもやしながら過ごしている。けど、存在価値を感じられるという意味では自己肯定につながるので、どうしようもなく精神的に落ち込んだ時は「助かったなあ」と思うことがある。

プライベートがボロボロのときに、仕事だけでも意欲的にやってやろうという気になる。ここでは婚活と違って、なんでも取り組めばその分だけ結果が出せるし、そうなるとまた自分に自信が持てるような気がする。最近、やめるまでの間に私が「変えたい」とかねて思っていたことをいろいろと改革してやめてやろう、と意気込んで取り組んでいる。早速、根回しと情報収集と資料作成を進めている。先輩や上司はいつも賛同してくれている。上の人からも、私はたぶん嫌われていない。やりやすい環境だと思う。このまま私が去るまでの間、変えたいと思っていたことを成し遂げてから辞める。

そうして誰かが私のことを見てくれて、変わるきっかけになってくれることを望んでいる。ただ無駄な期間だっただと思いたくない。少しでも私がここで存在した意味を作りたい。

 

 

でも、相変わらず私はかわいくない人間だと思う。男性と対等に張り合おうとする。生真面目だ。だから恋愛もうまくいかない。

男性をうまく立てたりするのが、とても苦手だ。仕事はともかく、プライベートでは気を付けているつもりだけど、自分よりも子供だなと思ってしまったときに、「よしよし」って転がすことができずに、思ってることをストレートに言ってやっつけてしまう傾向がある。どうしようもなく可愛くないし、男性の自信を失わせてると思う。

わかってるような気がする。

 

だけどこんな私も本当はとても恋愛体質でさみしさを感じやすい。

会社から出たら、ただのひとりぼっちの女になる。それまでの会社での振る舞いが「強がり」にすら見えるくらい、帰り道ひとりで歩く私の表情は寂しいだろうなと、今日第三者的な視点からみて思った。

無意識に「私は効率的に仕事やってますからアピール」のつもりなのかもしれない。最近は17時過ぎたらすぐに会社を出る。

電車に乗って、ツイッターを見て、たまに本を読んで。最寄り駅についたらまたなんだか欝々とした気持ちに覆われ、浮かない顔をして歩き始めた。回り道をしてスーパーで足りない野菜を買う予定だったけれど、たまたまセールの日だったのでレジに長蛇の列ができていたのでげんなりして、帰ろうとした。

そしたら、同年代の男性がお酒を買っていくのが目についた。何本かの缶チューハイを手に取った。私が一番買わない類のお酒だ。好きな人か彼女か、もしくは奥さんと一緒に飲むのかな。そう思った。

家のドアは重かった。開けて好きな人が待っていたら違うのだろうか。私の場合は、待っているのはただの蒸し風呂だ。暑すぎて逃げ出したくても、私にはほかに逃げ場はなかった。

特に食欲もないけれど、一応3食きちんと食べないと体に毒だとわかっているので、いつものようにごはんを作った。さっきのスーパーで買い足す予定だった野菜を買えていないので、何を作ろう?と考えた。冷蔵庫の中の残りの食材を見たらすぐに決まって、ありものでおいしいおかずを作ることができた。

器用なわけではない。でも一時期カフェを開くことを本気で夢見て計画していたくらいだから、料理は好きだ。我ながらアレンジがうまいものだなと思った。でも、このくらい手際よくできないと逆におかしいくらい一人暮らし歴が長いので、ある意味当たり前か。だって、主婦になっていてもおかしくない年齢だもん。そりゃそうだよね。

一番長く付き合っていた元彼は実家暮らしだったので、私の料理をよくほめてくれた。あとで聞いた話だが、元彼の同僚にも「俺の彼女めっちゃ料理うまいんすよ」と言っていたらしい。恥ずかしいからそんなこと言わないでよと思っていたけど、正直にのろけてくれる元彼が好きだった。実家暮らしの人に作ってあげると、自分が料理しないから感動してもらいやすい気がする。

しかし、そうやって褒めてもらっても結局失敗しているので、料理を極めて胃袋をつかんだとしても私には無理なのかもしれない。そんなどうしようもない考えがまた出てくる。

 

 

 

今の自分は、八方塞がりな気がしている。明日になったらまた普通に前向きな日記を書けるくらいには立ち直れると思うけど、何をどう考えても打破できない何かがあって。

 

最近たまに思うんだけど、人は1回失敗したときには「よし!でも気持ち整理してすっきりしたから頑張るぞー」って自然と前向きになれるのですが、失敗が2回3回連続で発生することによって、ダメージが元の2倍3倍になっていくような気がしている

私の最近の1回目の失敗が「1年半以上付き合った元彼に振られた」だとしたら、2回目の失敗は「一瞬付き合ってすぐに別れた人との一件」だ。そしてその直後に好きなんじゃないかと思った人からの音信不通事件だと思う。それまでに一度も成功していない。これは、結構くる。

1回目の「元彼に振られた」は、かなり大きなダメージだったけど、それでも1回目なので、全然立ち直ってからの心持ちも割と健全だった。また恋できるでしょ!みたいな。けど、やっぱり続くとつらいんです。2回目はともかく、3回目まできたとき(ていうか今?)は、豆腐メンタルなので余計に敏感になっている。

世間ではそんな人たくさんいるし、それにもっと大変な思いをしている人に失礼だとは思う。人によっては「それダメージのうちに入らねえよ」って感じると思うのですが。

 

なんとなく夜を一人で過ごしていてふと思った。

私にはいま、誰かからのLINEを待っていることはなくなった。誰かからの便りを楽しみに待つことはなくなった。そういう相手が、ずいぶん前からいない気がする。通知音を待つことがなくなってから、かなりの時間が経った気がした。

最後はいつだっただろう。長谷川さんと最後に会った時だから、もうあれから4か月もLINEを待っている人が誰もいないことになる。いや、別にもっと前にも、そのくらい異性とかかわっていない期間があった時も、あった。

それはいつだろう。元彼に振られて以降は、なんだかんだ友達の紹介とか同世代の友達経由で知り合った人とか、お見合いパーティーやマッチングアプリでやり取りした人とつながったりしていた。こんなに長い間、連絡が来てほしいと思う誰かからの便りを待っていないというのは、元彼と付き合う前、いや、元彼と知り合う前だ。

っていうことは、23歳くらいの時か…。そのときは、もっと長いことそんな機関があったはずなのに。連絡が来てほしいと思う「だれか」がいないのが、もっと長い期間続いたことは、過去にはたくさんあったのに。

 

 

私はひとりだ。

 

 

 

 

 

書きたいことがいろいろ出てきているのですが、寝不足なので今日は早めに寝ることにして、また明日書きます。