ビタースイート

人生は 甘くて苦い

今の考えと、これからの方針。

前の記事の続きを書きます。

少し、婚活に対する今後の方針を変えようとしつつあるので、書きます。

 

 

理由は、ただ単に疲弊しているというのもありますが、それだけではない。

休止期間が終わって、さてまた「婚活」しようかな?と思ったとき、最初に思ったのは「本当にやりたくない・・・・・・」だった。

 

もちろんみんながそうだと思うけど、婚活という活動自体が、ストレスを超えてやりたいと思えるものでは、もはやなくなっていた。特に婚活の中でも一番私が苦手だったたのはお見合いパーティー。(いまからお見合いパーティーに行く方ごめんなさい。別にオミパを否定してるんじゃなくて私は合わなかっただけです)

 

でも、この「婚活再開したくない」は、とにかく婚活でいろいろと傷つくことが多すぎて、それに心が耐えられず「幸せになれなくても別にいいや」と一時的に逃げているだけだと思っていた。だから休止期間開けて、一度だけ行ってみました。でも、やっぱり心がちぎれそうでした。

 

時間だけが無駄になって、心は疲れ果てて、それなら結婚できなくてもやりたいことをやっていたほうが自分らしく健全に過ごせると思ったのです。

 

 

婚活っぽいことを始めて、ある人に言われました。

傷ついた傷ついたって言ってるけど、みんなそのくらい傷ついてるよ。あなただけじゃないんだし、あなたのケースよりももっとひどい傷つき方した人はいる。

ただ、だからもっと強くなれ、とかそういうことじゃなくて、そのくらいで傷ついたとか言ったら、もっと苦労している人はそれを聞いてどう思う?相手がどう思うか考えて発言してないでしょ?」って。

その通り過ぎて何も言えませんでした。私は感受性が強すぎて、普通の人よりも些細なことで傷つきやすいところがあるのもあって、一般的な人が「そのくらい別に…」って思うことを、やや過剰に反応していることは否定できない。

でも問題はそこじゃなくて、なぜ私がモテないかというとその指摘の通りで、例え私が本当に傷つきやすいからといって「聞いた人がどう思うか」を考えられていなかったため、相手が「え…」って思ってしまうような発言が時々出ているから、というのはあったと思う。

 

正直それを言われたとき、付き合った人と別れたばっかりだったので、かなり刺さりました。でも、キツイことを言ってくれる人もエネルギーがいるし、別に私を痛めつけるためじゃなくて良かれと思って言ってくれたんだと思ってます。

それ以来、人との会話ではそこらへんには気を付けるようになった。

 

ただ、発言はこれからも気を付けるつもりだけど、お見合いパーティーに我慢して行き続けることはやっぱりやめることにしました。

「いやいやこのくらいのストレス、みんな感じてることだし、つらくないし、大丈夫大丈夫。」って言い聞かせて、違和感を感じることをやり続けるのは、ちょっと違うかなと。

たとえ本当にあと5回くらい後で行ったパーティーでだれかと付き合えることになっていたとしても、それでも今はもうやめたいと思っています。

 

今までは「それでも我慢しながら、落ち込みながらも工夫しながら続けていたらいつかは」って思っていたけど、本当にそこまでしてやることなのかな?と、休止期間開けて思ったのです。それよりもまず私は、リアルでの出会いや人間関係の構築というところをまず頑張るべきなのではないかな、と。

 一度リアルでの出会いから人間関係を広げる努力をする。それからもう一度婚活というものをするかどうか考えようと思ってます。

 

思えば、私はリアルでの出会いが一番理想だとか言いながらも、いまある人間関係でまず努力することを、完全に避けていました。初めから相手を異性として意識して出会う婚活のほうが、消極的な自分の場合は手っ取り早いと思っていたからです。

いわゆる一般的に「婚活」と呼ばれる活動は一度やめて、その代わり現実で「いいな」と思った人に出会ったら、そのチャンスを頑張ってつなげる努力をするようにしたい。これもある意味では「婚活」です。

本当はその出会い方をしたいと思っていたのに、十分にその努力をする前に、あきらめていたからそれも後悔につながると思った。戻るのはそれからかなって。うまく言えないけど。

あまり積極的ではない私ですが、このまえ思い切って(自分としては)告白よりも恥ずかしいことをしてしまったことにより、現実でも少し頑張ってみる勇気は出てきました。

 

 

ちなみに打たれ弱すぎる、傷つきやすい感情的な性格は今でも変わらないけど、以前よりもそういう状況になったときに、冷静に自分を見つめなおすことは得意になりました。

前も書いたけど「あーーーー、気持ちの面で悪い波が来てしまった!!」って第三者の目線で何度か思うようにしたり。これは個人的には少し効果がありました。

 

 

話がそれますが、まったく同じ出来事でも、人によってストレスの受け方の程度は違うし、それについては仕方ない気がする。

たとえば東日本大震災の時、被災しているわけではないけど某歌手の方が連日のニュースで過度のストレスを受けて倒れたと聞いたことがある。

上の論理でいくと「もっとつらい状況の人はそのニュースを聞いてどう思う?そもそもそれを報道するなよ」となるとは思うけど、それはおいといて、私はこのアーティストは感受性が強すぎるんだなあと思った。

被災者の方は「私はもっと辛いけど」と思うにきまっているけど、極端に弱いとか甘えているとか、もっと強くなれとか、そういうことでもないと思うんです。その人にはその人のペースがあるんだから。

人によっては、それからケースによっては「結婚しない」ことが最終的には正解の人もいるんじゃないかなって。

 

 

こんなこと言ったら、彼氏もいなくて今のところ婚活にも失敗しているし、完全に婚活をあきらめることの正当化、負け惜しみだと思われるだろうし、実際に、そのとおりです。

「別に婚活やめるのはあなたの勝手だけど、ますます結婚できなくなるだけだよ。婚活はつらいこともあるかもしれないけど、幸せになれる可能性を自分の手で消してるよ」って、もし私が結婚相談所に入っていたら言われると思います。

 

もちろん負け惜しみの部分があるのは事実です。人間だから、嫉妬して自分を正当化している。「結婚だけが正解とは限らない」という負け惜しみ発言は、その名のとおりです。

でも、それと「生涯未婚の人は幸せじゃない」ってこととは違うよね。

 

 

私の周りにいる独身の方(割と高齢の方も含む)を改めてみて、そんなふうには思わないのです。むしろ、とても素敵な方が多い。

もちろん、その人たちも本当は、適切な相手と巡り会って結婚していたらさらに幸せなこともあったかもしれない。だけど全く不幸せには見えません。

その人たちのなかでも、「あー、この人は正直結婚に向いてないのかもしれない」と思う人もいます。とっても魅力的な人なのだけど性格的に、結婚というスタイル合わないだろうな、という意味で。

だから結婚できなくても、人生を楽しむ努力ができて、それで幸せだと言えれば今の「やらなきゃ、やらなきゃ」地獄よりは全然いいと思ったし、解放感にあふれた気持ちになりました。

 

 

私の父親は昔、こう言っていました。

人生は結婚しなくても楽しむことができるし幸せになれる。ただ、人生でたまたま素敵なパートナーがもし見つかったら、その人と結婚することが「もっと」楽しんで幸せになれる方法のうちのひとつであるだけだ。だから、結婚できなかったことで不幸せになるというわけではない

 

私はこの言葉を聞いたとき、たまたま婚活的なことで行き詰っていたので、声に出して泣いた。

自分は欠陥品なんだと思っていたし、みじめだった。

だけど、自信を失うのではなくて、どうやったら今の自分を生かして素敵なパートナーを見つけられるのか考えようと思ったし、お見合いという形式や婚活という形式が自分は苦手だった(かもしれない)ことによって、落ち込むことでもないなと。

要は、休止期間明けに「婚活またやらなくちゃ」と過度にプレッシャーを感じて自分を奮い立たせて婚活することによって、自分が幸せではない毎日を歩もうとしてしまいつつあった。そのことに、気づいたということです。

 

 

今日は話が全然まとまらなかったけど毎日楽しみながら、自分のよくない点はかえりみながら、まだまだ出会いにも期待して、少し積極的に、自然体で頑張ります。