ビタースイート

人生は 甘くて苦い

いつもの土曜日と、時は止まらないってこと。

今年から、ベランダ菜園をやっています。

そんな大したものじゃないけど、植物の生命力を感じられて、日々のちょっとした感動があり、いいものです。

 

 

そのベランダのトマトが、先日あっという間に色づきました。

なかなか色づかないなあ…と思っていた時期は長かったのに、7月中旬から、ほんの2日ほどで、驚くほどきれいに真っ赤になって。

その様子を見ていると、生きているということがどういうことなのかを感じさせられました。

 

 

 

 

 

最近、ある人に「私はもう、もしかしたら家庭を持つことは無理かもしれないなあ、って気持ちになることがあるんです」と言いました。

そしたらその人(仮にAさんとします)は「どうして無理って思うの?」と聞いて、こんなことを言っていました。

 

Aさん:「私にもできる」ってことを証明するのは自分がやってのければいいだけだから簡単だけど、「私には無理である」っていうことを証明するのって、すごくすごく難しいんだよ。なんでもそうだけど、何かが「できる証明」は可能でも「できない」証明って本当に困難で。可能性が残されているからね。

 

その後、こんな会話が続きました。

 

私:なるほど。でも、人の心がかかわってくることに関しては「無理」なこともあるんじゃないかと私は思うんです。人の気持ちは最終的には他人がどう頑張ってもどうにもならないことだってあるので。

 

Aさん:例えばどういうことが?

 

私:例えば私は数年前に割と長く付き合った彼氏がいて、『その人と結婚したかった』と思ってました。でも、結局別れてしまいまして。『ああ、無理だったなあ』って。今は未練はありませんけど、そのときはずっとそう思ってました。こういうこともありませんか?

 

Aさん:それは「別れる」ということが適切な行き先だったんじゃないの?その話聞いて、本当によかったねえと思う。なぜかって、結婚してから別れてしまったケースを見てたら、本当につらいものだからね。

 

私:まあ、そうですけど…

 

Aさん:目標が「好きな人と結婚する」だったら、まだ無理かどうかはわからないでしょ。今って人生を時計に例えたら、まだ朝の9時くらいなんだよ。今から朝礼始めるっていうときに「私には時間がもうないので」とか「焦るんです」とか言われても、今からなのにって、思わない?

 

 

 

人間は生物なので、もちろん子供を産める時期は限られています。

だから、わたしはベランダのトマトがあっという間に赤くなって熟してしまうのを見て、言いようもない焦りを感じていました。

なのでタイムリミットがあって焦るのは、女は仕方ないんですよ!と思う気持ちはちょっとあったけど、Aさんの話はそれはそれで、なるほど、と思ったのです。

 

 

確かに、その旬を逃したらできないこともあるかもしれない。

でも人生っていろいろなやり方があるし、その旬の時期に「どうしよう、本当に焦ります」って言って毎日過ごしていた記憶しかないっていうのは逆にどうなんだろうなと。 

どうしようって思っても時は止まってくれるわけではない。

旬のうちに誰かが収穫してくれなくても、時は止まってはくれない。

 

収穫されなくてもちゃんと、生きている役目を果たすことは当然できるので。この世界に生まれた意味だって自分で作れますよね。

 

 

複雑な気持ちはもちろん誰にでもあるけど、旬にばかりとらわれて不安になるのはやめようと思いました。

いろんな本にも「〇歳を過ぎたら、正直結構厳しいと思ったほうがいい」みたいに書いてあるけど、アラサー過ぎると結婚が厳しくなるというのは、確かにそりゃ統計的にはそうだろうよ、考えれば誰でもその理論はわかるよな、と思います。生物学的な旬が過ぎようとしてるので。

 

 

旬を過ぎたって何でもできるってことは、いろんな先人が証明済みなんじゃないかしら。だから私も証明すればいいだけなんじゃないかしら、と思いました。