ビタースイート

人生は 甘くて苦い

お知らせ(ブログを引っ越しました)

こんばんは。

 

このたび、ブログをワードプレスに引っ越しました。

bittersweet-now.net

 

ブログは今後も続けていきたいと思っています。

もしよろしければブックマーク等に登録の上、今後もブログを読んでいただければ嬉しいです。

 

 

長いことお世話になっていたはてなブログ(ビタースイート)は今週いっぱいで削除することにしました。

→追記:引越し先でブログレイアウトの編集などが終わり次第、この記事以外は削除します。

 

はてなで出会った皆さん、今まで本当にありがとうございました。

はてなのアカウント自体は削除しない予定なので、読者登録しているブログは今後も読ませていただきたいと思います。

 

 

それではみなさん、お元気で。

 

感染症の影響があって色々と大変ですが、なんとかみんなで生き延びましょう。

またこれからもよろしくお願いいたします。

 

自分だけが止まっている感じがする

前の記事で書いたように、メンタルがぶっ壊れて休職させてもらっている。

 

 

会社の人たちには本当に申し訳ない気持ちだ。

今、世間の殆どの会社がそうだと思うけど、コロナの件でそれぞれ緊急で対応しなくてはならないことも多いと思うし、大変だと思う。

そんな中、私だけ逃げているなんて正直ずるい。

表向きにはメンタルがどうとか言うけど、正直会社でメンタルやられている人なんて私以外にもいるし、辛いところ、余裕のないところ我慢して毎日行っている人も多いはず。

 

私も重度の症状ではなく医師にも軽度と言われている。

もしどうしても稼がないと1円も貯金がないとか、「収入のために無理して行け」と家族に言われたら行くしかないと思うし、実際に絶対行けないかと言われると不可能なわけではない気がする。

だから自分のことをやはりどこか「ずるい」と思っているし、会社の人にはそう思われていても仕方がないと思う。

 

 

私が休んでからも、冷たい対応をされたわけでもないのがまた苦しい。

うちの会社は非常にまともだと思う。というか、良心的に対応してくれすぎている。

 

 

じゃあ1日も早く復帰しろよって感じだけど、そう自分にプレッシャーをかけてみるとそれはそれで結構しんどい。

最近またよく会社に復帰して嫌な思いをしている夢を見る。

 

正直なところ辞めることを覚悟で休職しているけど、本当にこれでいいのだろうかと毎日思う。やはり、代替になるものが見つからないからだ。

 

 

同世代の人や年下の人の活躍している様子を見ると情けないなと思ってしまう。

例えばふと、今の会社で私よりもかなり年下の新卒の子や新卒に近い子は、私とほぼ変わりないくらいのレベルで仕事をしてた人が多かったことを思い出したり。

人によっては3.4年目くらいでも相当しっかりしていて、私はその人たちよりも年上だけど「自分のほうがかなり幼い」と感じることが多かった。

 

身近な人じゃなくても、面識がない人でもそう感じることが多い。

SNSやYOUTUBEを見ていると、この人若いのにこんなに話すのが上手いとか、こんなたくさんの経験をしているんだとか、こんなに文章が上手いんだと思う人はたくさんいる。

ふと年齢が気になって見てみたら、自分よりかなり年下だったりするケースも多い。

悩んでいる人を見ても、まだ若いから大丈夫だよって内心思ってしまう嫌な自分がいる。自分の年齢にも焦りを感じているのだと思う。

 

 

焦っても仕方がない。

それに、今私のような状況の人が、成功している(ように見える)人と比べるということは最もしてはいけないことだと思うけど、やはり見ると自己嫌悪になってしまう。

 

例えば、同じ大学を卒業した同級生がトレリンガルになっていて世界各国でいろんな人と仕事をしていたりする。私には、能力的にも精神的にも難しい。

ただ、誰にでもできる事務職の仕事をレベルの低い会社でやってきただけの自分とは違う。凡庸な人間になってしまった自分とは全然違う気がする。

でも、人それぞれキャパは違って、自分はそこまでプレッシャーがかかる仕事は向いていないし潰れてしまうんだと今回のことでも、分かった。(以前からも薄々分かっていたけど)

すごいと思う人を見ても「自分はこの程度で、この人にできることは自分にはできないんだ」といさぎよく認めるというか、諦めるしかないのだと思う。

できないことはできないと認めようとぺこぱも言っている。

でも、できないと認めたくない自分はどうしたらいいんだろう。どこかまだ、自分にもできるのではないかという気持ちがあるようだ。

「そういう気持ちを捨てたほうが良いのでは、捨てたほうが楽になるのではないか」とは思っている。でも、どうしたら捨てられるのかあまりよくわからない。

 

捨てようと思って「じゃあ捨てよう」って簡単に捨てられるものではないのかもしれない。

 

何かを始めるのにおそすぎるということはない、とよく言うけど、もう若くはない。

理屈はわかるけど、今からやり直せるって言われてもやはり長い道のりだと思うし、気持ちだけはとても焦ってしまう。

 

みんな歩き続けている、みんな成長し続けているのに自分だけ止まっている。 

 

 

 

 

ここで休職中のことをぐだぐだ書くのも本筋からずれる気がするので、noteを始めました。

note.com

 

31歳のある日、突然仕事に行けなくなった話

私は31歳になったばかりの2020年3月、突然仕事に行けなくなりました。

 

 

 

 

というか、それまで勢いでなんとか行っていたけど、その勢いが全くつかなくなったというのが一番近いのかもしれない。

 

 

明らかに自分が疲弊していたのはわかっていたけど、もう行かないと仕方がないと、転職して1年もたたないうちに辞めてどうすると、生きるためには仕方がないのだとなんとか言い聞かせてやってきた。

 

1月の年末年始の休暇が終わった時は、今までになく鬱々とした気持ちになっていた。

一言で言えば「仕事に行くのが嫌」ということになるのだろうけど、前の会社で感じていた「あー面倒くさいな」というレベルのものではなかった。

 

とにかく行くということを避けられるなら何でもいいから何か正当な理由がないものだろうかと思ったりした。

けど、とにかく「明日自分がインフルエンザになるとかそういうことでも無い限り休むという選択肢は許されないので、仕方なく諦めて行く」そういう感じ。

 

鬱々した気持ちだったが、暗い態度でいても仕方がないので努めて、できる限り普通に明るい感じで振る舞っていた。

休み明けもそんな感じでかなりきついけど、やはり休み明け1日目よりは2日目のほうが行きやすい傾向があるため、我慢して出勤してしまえば…と思い、なんとか頑張った。

その調子でなんとかして繁忙期をやり過ごし、「子どもができたら体調的に通い続けられないことを言い訳にして辞めてもいい。それまでは頑張ろう」と思っていた。

というか、それを励みにして頑張っていた。

 

 

もし「無期限で働かないといけない」と思っていたら、どうなっていたんだろう。

絶対続けるのは無理だと感じてしまってもっと早くに行けなくなっていたか、それとも逆にどちらかだったと思う。

 

 

 

行けなくなる前に、何か決定的な出来事が起きたわけではなかった。

でも、引き金となった出来事にはいくつか心当たりがあった。

 

最近コロナウイルスの関係で時差出勤やリモートワークを取り入れている企業が多い中、うちの会社はあまりそういう対応をする気配はなかった(今は時は進み、お子さんがいる方は届け出た上で休んでも良いみたいな感じになっている)。

 

ただ、多くの人が出入りする環境にもかかわらずそういった動きはなく、実際私も勤務先ではたくさんお客さんと接する機会があったのです。

それに毎日満員電車に揺られて1時間半の距離を通勤するし、自分が感染しても全くおかしくないと感じた。

私はこんな自分の好きでもない仕事のためにコロナウイルスにかかる危険があり、最悪命を落とす覚悟をして出勤しないといけないのか?」とそのとき思ったんです。

ちょっと意味がわからないようなわかるような微妙な感じですけどね。冷静になったときの感想としては。

 

 

最低だと思う人もいるかもしれませんが、そう思った途端に私は本当に嫌だと思ってしまい、突然出勤したくなくなりました。

それまでも前述の通り全く行きたくなかったですが、それとはちょっと違う次元で「本当に行かなきゃいけないのか」と思ってしまうようになりました。

 

仕事をしている以上、どんな場所でもそれなりのリスクを背負うことになるし、そのあたりは覚悟して社員にならなくてはならないと思っています。

前の会社でも「ここで地震が起きたらお客さんを守るために全員を避難誘導等の対応し、自分は最後に逃げることになるから多分犠牲になるんだろうな。従業員としてそれはもう諦めるしかなかろう」と頭の片隅で思いながら仕事していた。

前の会社も好きではなかったですが、それはなんとなく覚悟していた。

 

今の会社も同じはずなのに、なぜか今回は猛烈に出社拒否したくなっていた。

 

 

そして、最近の私はいつもにまして先輩から攻撃されることが多くなった。

この先輩は他の社員や他の部署の人からも苦手だと言っている人が多く、同じチームの一番近くで仕事している私も日々かわすのに疲れきっており、都度都度対応に困っていた。

 

この先輩が厄介なのは、自分が「これがいい」と思っているやり方を他人にも割と強要するタイプで、本人は良かれと思ってやっているようですがそれが拷問のようなのです。

ある程度の「正解」に近いものがあることなら指摘されてもまだいいのです。

でも、その先輩のやり方は現実的にはそこまでやっていたら体いくつあっても持たないし、限界があると思われることまで推奨(というか強要)してきます。

先輩は体力も気力も有り余っていていくらでもやりたいタイプなので、自分はそういうふうにしたらいい。ある意味、意識が高くて立派だとは思うし。

でも私にも同じレベルで仕事しろというのは、気力もやる気も正直無い中で余力を振り絞ってやっている私(正直今は、最低限自分がやらなきゃいけない仕事だけやっていたい)にとってはかなり辛いものがある。

 

もちろん、そのやり方は自分に合っていないと思うなら従わなければ良い話であり、私も前の会社の上司に対応していた時のように、反論したりすればいいことで。

でもそこで言い争っても時間ばかりが過ぎるし、またやらなくてはならない仕事に費やせる時間が減るので、私は特に何も反論したりしないようにしてた。

私の意見も一応は聞いてくれるかもしれないけど、最終的にはその人が正しいと思うやり方や持論についてこんこんと説かれるだけで、また時間がかかるであろうことは(他の人にそうしているのを見て)よくよく知っているから。

とにかくそういうときの話が長いのです。

しかも、その人にいったん「こいつはだめだ」と思われたら、事あるごとに小姑のように指摘されるようになった。

 

新人の私にもあまり適切ではない点があったのは認めますが、上司が「こう言え」と言ったことを伝えたら他の社員に叱られたり、上司と他の人との板挟みになるケースも増えたし。

これってある意味どの職場でも新人あるあるなんで、ある程度は仕方ないとは思ってますけどね。でもとにかく、時が解決するだろうとは思えなかったんです。

 

 

この職場ではまともな人も多いから仕事がやりやすくなると当初思っていたけど大きな間違いで、私はますます疲弊し、もう何を言われても聞きたくなくなり、これでかなり最近きつくなってきました。

 

 

恐らく、このあたりのことが出勤拒否の症状になった直接の原因なのではないか?と、読んでくれた人は思うかもしれないし、私もそう考えていた。

 

でも、このことだけが原因とは限らず、これ以外の様々なことの積み重ね、そして過去からの私の認知の歪みの積み重ねなどがすべて複合して起きた状態なのかもしれない。

メンタルの不調から仕事に行けなくなった人の話をネットで見てて「発症した直前や最近の出来事が原因だと考えている人が多いと思うが、実は今までのいろんな出来事の積み重ねで発症し、その最後の出来事は決定打となっただけ」という見方を見つけて、自分の場合もそうかなとなんとなく腑に落ちた。

 

まず自分の場合、元々「仕事をやりたい」「社会に貢献したい」「できれば自分の得意なことや好きなことを仕事にしたい」という根本的な欲求は割と強い(強かった)と思っており、新卒の時からどんな会社に行って何ができるのだろうと働くことにワクワクしていた。

アルバイトで雇ってもらった保険会社での仕事はとても楽しく、学生でありながら契約社員にしてもらったこともあったし、働くって面白い…!と思っていました。

 

 

そんな私が今なぜか「働くこと」自体に消極的になっている。

できれば仕事せずに行きていきたい、組織に所属するなんて自分には向いていない、いや、、できない、できないっていうか無理、と思っている。

自分でも同一人物がここまでになるとは思ってませんでした。

 

これも「今この会社に来ていきなりそうなってしまった」というよりは、これまでの挫折経験やすべてのことを踏まえてこうなったと言ったほうがいいような。

 

今回の原因と考えていた出来事は「決定的になった一撃」でしかなかったのかもしれない。

自分をどこかで無意識にごまかして転職活動し、前の会社を辞めたというところから問題だったのかもしれない。

「働きたい」という欲求自体は、少なくとも今の会社に入るまでは自覚していました。

 

大卒で就職活動に失敗して以来ずっと仕事をせず「家事手伝い」になっている年上の従兄弟のことも今まで「さすがにバイトするとか就活するとか、もう少し頑張れよ」と少しだけ差別的な目で見ていました。

その人の事情は私とは違うけど、今となってはそんなふうに思ってしまって申し訳なかったと思う。

 

 

私も、これまで日常生活を(多分無意識のうちにやっていたことも、意識的なことも含み)一応普通に送れていた。

どうしてもギリギリまで仕事に行けなかった日々が続いたとか、逆に休みだしてからは朝早く覚醒しすぎて、それからずっと会社のこと考えて寝れないとか、そういうのはあったけど。

 

最初の1日は、とにかく行けなくてとりあえず体調不良といって休んだ。ある意味体の症状も出ているので、そういうことにした。

どうしても電話もできないような精神状態で、鬱ってこんな感じの状態だろうなと思っていた。でも、連絡しないといけないからメールを送った。

それを数日間続けてしまったけど、さすがに「体調不良」と言い続けるわけにもいかなくて、3日目に正直に「精神的な理由」ということを課長に連絡し、とりあえず心療内科を受診した。

こういう時って、精神的な理由だということを言いにくくて、それを言って休むくらいだったら無理して出勤してしまうという人も多い気がした。

私も、正直「精神的な理由で無理」ってなっても、それを打ち明けて今後気まずいことになるくらいだったら我慢して行ったほうがかえって今後の心的負担が少ないかなと思ったので。

今回言えたのは、正直もう辞めるという選択肢を視野に入れていたからというのも正直あるかもしれない。

正直、休職=もう無理って私は解釈していたのですが、復職して頑張っている人もいることを踏まえると、本当に凄いと思う。

私の前の会社でも2件そういうケースを知っていて、そのうち1人は辞めてしまったけど、もう1人は1年間うつ病で休職したあと、復職している。

男性だったので大黒柱で働かざるをえなかったということもあるだろうし、長い年月勤めていて同僚からの信頼もあったからまだ戻りやすかったのかな。今も普通に働いておられるし、ある意味私と同じで割と軽症だったのかもしれない。

思うに、その会社で働いている歴が短ければ短いほど、休んでしまう人で復職できるパーセンテージが低くなっているんじゃないかと推測する。統計は見たことないけど。

 

結局適応障害のようなことというか、新しい職場でうまくやっていけなくて辞めるっていうケースのほうが多そう。

部署異動でっていう人も多いんだろうけど、そういう人は前の部署ではうまくいっていたのだと思うから、まだ自分ができるんじゃないかと思いやすいだろうし。

 

 

話がずれたけど、私は抵抗ありながらも、近くに評判の良さそうな心療内科があったので行ってきた。

会社に明日から行けるかと言われたらもう難しい気がしていたし、診断も出なければとりあえず休み続けるというのも難しく、上司を困らせることになるから。

朝早くに受付して、順番が呼ばれたのはもう15時くらいだった。心療内科って本当に大変だなあと思う。

 

 

 

まあ、初めて会った人にそこまで長い時間を割いて詳しく説明するのも難しいので、要点をかいつまんで話した。

こういう時、一部の情報だけ言うことになると文脈で予想しなきゃいけない部分が多いし、言い方が悪ければ誤解につながるので、説明の仕方には気をつけた。

 

とにかく今の状況で行けなくなってしまったということと、原因としては職場が自分より高いレベルの場所だと思うということと、一緒に仕事している人が自分と正反対のタイプできついことを重点的に話した。

お医者さんは私の話しぶりを見て私の性格などもほぼ理解されていたようで、一を聞いて十を知るという感じの人で、なんとなく事の全貌を掴んでくれていた。

 

診断書を書くので少し休み、できるなら部署を変えてもらえと言われた。

そのほか色々とコメントをいただいたのだけど、このお医者さんの話が雑談のようであってかなり深かったと感じた。

 

 

どのような高校、大学を卒業したのかと聞かれて、まあ「かなり高学歴だ」と殆どの人に言われるのでまたそう言われるのだろうなと思い、高校名と大学名を答えた。

 

すると「大したことはないね」と言われた。

 

お医者さんは「私は○○県の進学校に行っていて、正直、東大を目指すのが普通だった。阪大で少し落ちこぼれ、神大だったら最下位の人が目指していたかな」という話をした。

ちょっと驚いたし、人によってはムッとする人もいるのかもしれないけど、私は嫌な気はしなかった。こんなことを言われたのは初めてだったので。

 

「このくらいの高校に行くと、1人くらい本当に天才的な人がいてね。もう天性の才能ともいえるようなもので、どんな努力をしても叶わないなということを思い知った。若くして大谷翔平に出会ってしまったんだよ」とお医者さんは言った。

 

「私から言わせてもらうとあなたなんて、ただちょっとだけ頭がいいお姉ちゃんだよ。大した事ないし、別に普通だよ。一体何を目指しているの?」と。

 

 

 

 

私は向上心が高いことが自分の長所だと思っていたけれど、これがかえって自分を苦しめているのではないかと今更ながら気がついた。

 

進学校と言われる高校に行っていて、それなりの大学を卒業しているので、自分は何かある程度の地位につきたいという考えや、何か貢献したいという願望が強かった。

 

だから有名な企業だったり、より名の知れたところで活躍しなくてはならないといったような変なプレッシャーも勝手に自分で抱えていた。

それなのに自分は優秀ではない、ということを自覚し、他の人と比べて会社でうまくやっていけていないということに劣等感を感じていた。

 

今回も、ぬるま湯のような前職の会社ではかなり楽勝だと思っていたので、自分がより高いものを目指したいと思って、同業他社の中でもレベルが高いことを求められるところに転職した。

本当は、正直会社説明会の時点で自分には合わないな、自分の行くところではないかもしれないと思っていた。

でも、それを自覚しながらも、ここで馴染んで頑張れたら自己肯定感が高まるのではないか、自分でもこういう会社でやっていけるという自信にもつながるのではないかと思ってそのまま運良く受かったことを良いことに、入社した。

 

研修でも色々と瞬発力を求められたり、ただ仕事をやるだけでは駄目だとか、飛び込みでこれをやってこいとか、かなりの負担がかかるようなことを色々させられて、プレッシャーをかけられたような気がした。

 

今から思えばすべてが自分の性格には合っていなかったのかもしれない。

でも、自分はもっと「上を目指さないといけない」とずっと思っていた。

 

夫にも前から「正社員じゃなくてもいい」と言われていたけど、正社員じゃないと駄目だと、自分にはそういうキャリアで成功しなくてはならないという強迫観念に近い考え方を持っていた。

 

 

 

 

診察が終わってから上司に電話した。

この上司がとても良い人で、私は会社の人と話しているにもかかわらず、号泣してしまって途中から言葉にならなかった。

まず、出社しようとは思うがなかなか行けなくて申し訳ないと説明し、何か気になっている理由があるのかと聞かれた。

情けないけど決定的にこれがなければ出勤できるとか、そういうことがあるわけではなく、自分でもよくわからないと答えた。

 

 

上司も私と一緒に仕事している先輩が私にあれこれ言っているのを日々見ているので何か察しているのか、「何かもしかして、誰かにこうしろ、ああしろと言われるとかそういうのが原因か」と聞かれた。

でも、そうです、とは言えなかった。

その先輩に対して申し訳ないと思っているからというのもあるかもしれないけど、実際にその人が悪いとは言い切れないと私も思うし、ただ合わないだけだった。

それに、今回は私のほうにもっと深い原因があり、先輩から明らかなパワハラを受けているわけではないし、その人のせいにするつもりはなかったから。

 

 

「実は入社したときから、自分にはこの仕事が合わないのかなと思っていた」と言った。

上司はいやいや、という感じで笑っていた。

「合わない、ねえ…あなたはどう思っているか知らないけど、私はあなたの仕事ぶりはとても高く評価していますよ。それはもっと上の立場の人にも伝えていますし、思った以上によく仕事してくれています。自己評価が低いだけで、みんなそう思っているからね」 と言ってくれた。

 

私が職場のレベルについていけていないことは明らかで、上司は私のことを「自己評価が低い」と言うけど、前の職場で「私はできてない」と思ったことは一度もなかったので、私の自己評価がそこまで低いわけではないと思う。

 

でも、転職したばかりな上にこんな荷物でしかない私に対して「あなたのことは何度も言うけどかなり評価しています。もし明日も言ったほうがよかったら何回でも言うよ。」と言ってくれて、本当にありがたかった。

 

私がかなり泣いてしまって尋常でない受け答えしかできなかったので、やはり少しだけ休職させてもらうことになったけど、とにかく仕事のことをまだ考えられない。

 

 

 

 

「自分が落ちこぼれでも別にいい」と頭では分かっていても、どういうふうにその境地を体得したらいいのかずっとわからなかった。

自分の身の丈にあった、比較的負担が少なく楽な仕事を選べなかった。

 

 

 

これからのことも、どうしようかまだ迷っている。

 

 

 

 

 

ずっと躓きかけていたのを無理やり持ち直し続けて生きてきたけど、31歳にして初めて挫折という形になった気がする。

結婚したので夫の好きなところについて書いてみる

タイトルを見てすっ飛ばされても構わないのですが、ノロケというよりはなぜ平和に暮らせているのだろう?と思ったので、なるべく客観的に考えてみた次第です。

それと、もし喧嘩した時にこういうのを見返したいなと思って書いてみました。

 

いつも、なるべく人に参考になることを書こうとは思っていますが、今回は参考になるかどうかはわかりません。笑

でも、もしよろしければお付き合いください。

 

 

 

 

まず、世の中で結婚している人が、相手と結婚しようと思った理由ってなんだろう?って考えたんです。 

やはり相手の性格等に好感が持てる&単純に性格が合うからなのかなと思います。

これを言ってしまえば結局「それかよ」となってしまうのですが、はい、そうです、やっぱりそれなのです。

 

 

 

さて、私と夫は似ているのかと言われたら、どうなのだろうと思いました。

似ているところももちろんあるのですが(雰囲気は似てると言われる)、性格や考え方はかなり違う部分もあります。

 

 

あと、共通している趣味もそこまで多くないです。

野球観戦は面白いと思うので時々一緒に行きますが、私は元々、特別野球ファンだったわけではありません。

元々、フィギュアスケートとか卓球とか色々好きな競技があり、そのうちの一つとして野球も時々見ていてっていうくらいで夫ほど詳しくなく、趣味として一致しているというほどではありません。

 

 

また、夫はスポーツができるので結構やってますが私は壊滅的に球技のセンスがなく運動神経がいかれてるので、一緒にできそうなのは走るのとキャッチボールくらいです。

 

私は唯一音楽の素質だけはあり、耳コピもできるし何の楽器をやってもある程度上達するのは早いと思いますが、失礼ながら夫からは音楽的なセンスは感じません。笑

夫が断固拒否するので、一緒にカラオケ行くことも付き合って1ヶ月目に諦めました。コンサートとかも興味ないってわかってるので、誘うことはありません。

 

あと、私はお笑いが好きで、夫もまあ好きなほうだと思うのですが、好きな芸人は全然違います。

夫はなかやまきんに君とか、ヘイヘイドクターの人(しゅんしゅんクリニックPさん)とかそういう系が結構好きです。稲垣さんの発言で湧いたゴージャスさんとかも好きな系統だと思われます。

私は漫才やコントが好きで、M-1に至っては3回戦、準々決勝、準決勝、敗者復活まで全部見ています。その中でも、好きな芸人さんは一致しません。笑

夫も私の推しの芸人さんには興味ないし(嫌いでもないでしょうけど)たいして面白くないと思ってるはずだし、好きではないと思います。

 

 

仕事に対する考え方なんかは正反対だと思います。

私は結構バリバリやりたい派で、どうせ仕事をするんだったら好きなことをやりたいしどんどん新しいことにも挑戦していきたいし、キャリアアップしたいと思っています。

でも、夫はそういう風には思っていないし、出世よりもワークライフバランスのほうが大事だという考えだと思います。

 

 

正直政治に対する意見も違うと思いますし、支持している政党とかも違います。 

 

好きな食べ物ですら結構違っています。お互い嫌いなものはそこまで多くないものの、外食に行ってもメニューのチョイスはあまりかぶりません。

 

 

これって大丈夫なの?と思われた方もいるかもしれません。

私正直そう思いますが、じゃあ、逆になぜ上手くいっているのかということについてです。

 

 

これは夫の人間的な懐の深さによるものだと感じており、もし違う相手だったらこれだけ相手と違うことが許せなくてダメになっていたかもしれません。

 

まず夫の素晴らしいと思うところは、自分と考え方の違う相手を受け入れられること。

「みんな違ってみんないい」という詩は有名ですが、その精神を本当の意味で体得していない人のほうが多い気がします。

私もその境地に至ってない人間のうちの一人では?と思わされたのは、夫の影響が大きいと思います。

 

大人なら他人との違いを受け入れるのは普通じゃないの?と思われるかもしれませんが、実際は、本当に受け入れられている人はあまりいない気がします。

社会生活では、ある程度みんなそれはできているはずなんです。

協調性に欠く行動をすると組織ではやっていけませんし、他人の考えに納得できないからといって、あからさまな形で攻撃する人なんて会社ではほとんどいないですよね。

 

でも、やはり誰かと付き合ったり、深い関係を築くと人間わがままになってくるし、自分の我も出すし、自分の意見を主張するようになってくると思うんです。

特に付き合っていたり結婚している男女の場合、そういうところでお互いの意見の食い違いが見えてぶつかることがよくあります。

 

 

私たちの場合も意見が違うことがよくあります。

食い違った時に「なんで?○○だからこうでしょ!」ってなる人も多いと思うし私もそうだったんですが、夫の場合は「へー。俺の場合はこうだけど」って感じです。

はじめは、この人はなぜ自分の主張を否定されても一切怒ったりしないんだろうと不思議に思ったり、私の意見について反論もほとんどしないので、どう考えているのかわからずに何となくイライラすることもありました。

「やよいちゃんはそういう風に考えるんだな、って思うけど自分と違うだけで否定はしない。他の人でも同じ。俺はこう考えるけど、この人はそういう考えなんやなって思うだけ。」と言っていました。

 

 

 

今まで、無意識のうちにどこか「価値観は揃えていかないとうまくいかないのではないか」みたいな気持ちがどこかでありました。

だから、自分の考えと合わない人だと感じたら別れるしかないと思われるんだろうな、という気持ちもありました。(そう思ってしまうと精神的にきつかったです。)

 

もちろん完全一致する人なんて存在しないっていうのは理論的には理解していたつもりなんですが、それでも、考えが違うこと=よくないことっていう風に無意識に思っていたのだと思います。

「違いを認めて共存しろ」って言われると、まあそれはそうですよねって思うけど、実際のところは柔軟な考え方は私の中には多分あまりなかったんですよね。

 

 

私は、人の意見をわざわざ公の場で否定しようと思うことはないんですけど、内容によっては内心「いやそれ絶対違うでしょ」と感じることもあります。

なぜ公の場で否定しないかというと、やはり相手が傷つくと思うし嫌な気分になると思うからです。それができない人も苦手でした。

でも、やはり身内というか心を許している相手だと、思ったままにストレートにそれを言ってしまうことがあります。

 

夫も、人前で誰かに噛み付いたり喧嘩するようなタイプでは決してありませんが、私に対しても別に自分の主張を無理に通そうとかそういうこともせず、ただいつも、冷静に話を聞いて自分の意見を言うのみでした。

私が結婚する時、上司は夫のことを「彼はいいよね。どんなときも気持ちが安定している。」と言ってました。

この上司は口が軽いのであまり好きではありませんでしたが、これに関してはそのとおりだと思いました。

 

そして夫の場合、話を合わせるために無駄に同調することもあまりしないです。

私は超八方美人なので、身内以外との会話では、あまり思ってなくてもつい「そうだねえ、確かにそれもそうか」とか言って、かなり相手寄りに同調してしまうことがあります。

だから相手に迎合することもなく、かといって否定することもしないのは結構すごいことだなと思っています。

そういう一面を見て強い人だなあと感じました。

 

 

仕事のことなら「ふーん」でお互い納得できるかもしれないけど、例えば家庭の方針や子育てのことで意見が合わなかったら?それは夫婦として無理ではなかろうか、と最初は思っていました。

だけど、私はこの人となら大丈夫かなと思いました。

ちゃんと話を聞いてくれるし、頭ごなしに否定したりしないし、何より尊敬できる相手なので、この人となら着地点を見つけて進めていけるなと思ってます。

私は頑固なほうで、こう思う!と思ったらそれ、みたいなところがあったのですが、自分が間違ってるとか間違っていないとか、そういうことにこだわるのはやめようと少しずつ思うようになりました。

 

 

そして私は典型的な感情型人間なので、議論して感情が昂ったときに何それどういうこと!!みたいになったり泣き出したりすることがありますが、そういう自分を受け止めてくれるので、落ち着いて対応しようと思うことも増えました。

 

私のほうが夫より年上なので、つきあい始めは「私のほうがしっかりしていなければいけないし、物知りでないといけない」と心の何処かでとらわれていました。

仕事でも、先輩だったら後輩よりも優秀でなければ!と思ったりしますよね。それと同じ感じでした。

(仕事の場合でも、必ずしもそうとは限らないかもしれないですけどね。先輩だろうが後輩だろうが得意不得意や向き不向きがあるので、固定観念にとらわれないほうがいいかもしれません)

 

でも、彼のほうがしっかりしてても別にいいのかなと思うようになったし、できない自分もある程度認められるようになったと思います。

そのせいですっかり頼り切ってしまっているので、甘え過ぎはよくないですが、まあ私もしっかりしている点もあるのでそれでいいということにしておきます。笑

 

 

 

もうひとつ言うとしたら正直で、ひねくれていない素直なところが好きです。

私はあまのじゃくなので、わざわざ回りくどい言い方をしたりすることがありますし、恋愛においてはとても不器用だと思います。

このような面倒な私ですが、もういいやと怒って放り出されることもなく、私が努力した(と思われる)ことについてはちゃんと褒めてくれます。

例えば何か料理一つ作ったとして「そんなのできて当たり前では?」みたいな冷めた反応してくる人もいましたが「おーすごいなあ」と言ってくれるのでとてもうれしいです。

 

悪気がない人のことを責めようとはしないし、頑張ったことについて素直に労ってくれようとする優しさがあるので、そういうところが好きです。

私も夫がしてくれたことに対して素直にお礼を言ったり、言葉で表現することをずっと忘れないようにしたい。

 

最後に、欠点について。 

人間、誰しも欠点があると思いますし、夫にもあると思うんですが、じゃあ欠点は?と聞かれたら、別にこれといって思い浮かばないんですよね。

でも、これは夫が完璧な人間だと言いたいわけではなくて、私が「欠点を欠点として見なしていない」というだけのことだと思ったんです。

第三者の視点で見れば、人によっては欠点として挙げられる夫の性格の特徴っていくつかあると思うんです。

でも、それは私にとっては特に大きな問題だと思わない部分なので、欠点というほどのことだと思ってないっていうか。

 

 

こうやって書いてたら、やっぱりノロケじゃないかと思われたかもしれませんが、夫に改善してほしいところや要望は色々とあります。

例えば菓子パンを食べ過ぎとか、お風呂はシャワーじゃなくて湯船に入ったほうが良いとか、約束に遅れるなら早めに連絡してほしいとか…

 

夫も私に対してそういうの色々あると思うのでお互い様ですが。

 

とにかく、相手が完璧だって思っているわけでは決してないです。

 

 

でも、うまくやっていけていると思っています。

 

 

結婚されている皆さん、日々の生活で色々あると思いますが、改めて相手の好きなところを考えてみるとまた新たな発見があるのではないかと思います。

2019年をしみじみ振り返るなど

こんばんは。

 

気がつけばもうすぐ12月の最後の日になろうとしている今、2019年のことを振り返ってみると本当に忙しい一年だったと思います。

 

今年は

・謎の体調不良に苦しめられる(1〜2月)

・30代スタートする(3月)

・ハワイ旅行(5月)

・プロポーズ(6月)

・入籍(8月)

・会社辞める(9月)

・転職(10月)

・結婚式(11月)

 

とにかく慌ただしく、あまり立ち止まる暇がない1年間でした。

改めて思い出すと、上の出来事の中にもまたさらに様々な出来事があって、今になってああ、1年早かったなあ…としみじみしています。

 

結婚や転職については、たくさんの人にお祝いしてもらって、応援してもらった。

まだまだ始まったばかりなので、これからはまた新たな目標を持ちながらやっていきたいです。

 

忙しかった一方で、今の自分の課題のようなもの、今までなんとなく考えることから逃げていたことについて見つめ直すきっかけが今年いくつかありました。

私は「やよいちゃんはあまりやりたいことや好きなこともないみたいだし、これといった熱中できる趣味もなくて、なんかつまんないよね」というような主旨のことを去年の今頃、友人から言われました。

 

これって結構痛かった一言だったんです。

今でも忘れないし、自分の中の急所だったというか、とにかく突き刺さりました。

 

確かに私は趣味がないことが悩みというか、これにハマってる!とか「これだけはずっと続けてきていて好きだ」っていうことが人よりも少ないと思います。

だからって「好きなことや楽しみが全然ない」ってことではないけど、多分、何事にもハマってると言えるほどは詳しかったり極めたりしてないし、何に関してもそこまでの熱量がないんだと思います。

 

今の仕事もそうです。

夢がないことを言いますが、正直今の仕事が好きだからやっているわけじゃないし、安定していて普通にそれなりの給料がもらえるから続けてるっていうのが本音なんです。

興味のある仕事はあっても、今から熱意をもって1から新たにチャレンジしたいかって言われると、体力面も心配だし、そこまでしてやる自信がありません。

要するに、これから何がやりたいのかは、結局自分でもよくわからないんです。

お金とか体力面だけが問題とかそういうことでもなくて、単純にそこまでやりたいことが見つからなくて、そういう自分に対してずっと自責の念にかられていました。

何か悪いことしているわけじゃないのに、やりたいことに挑戦して生きていない自分=つまらない人間っていう図式が自分の中で完成していました。

 

 

私が新卒で入った会社で、仲良くしてもらった派遣社員の方が「仕事って辛いものだし、給料って我慢料だと思ってるから。だから仕事にやりがいを求めるほうが間違ってる」みたいなことを私に言いました。

でも、私は仕事が辛くても給料をもらうための我慢料だから我慢するっていうのはなんだか違和感を感じざるをえないし、そもそも給料は我慢料とは思いたくないし、そうあるべきではないと私は思っています。

 

確かに仕事をしていたら理不尽なことも自分がやりたくないことも、我慢しなくてはならないこともあるけど、でも「給料をもらうために我慢する」っていうスタンスの働き方には、私はなりたくない。

やりたいことがよくわからないとか言っている自分がこう言うのも矛盾点があるかもしれないけど、私も、自分はこういう形で社会に貢献したいと心から思えるような仕事をしたい。

 

私は以前はどちらかというとチャレンジングな価値観をもった人間だったけど、いろいろな挫折を経て今は安定思考になっていると思います。

でも、最近起業した友達を見て「安定思考=挑戦しない」ではないんだなって、改めて気が付きました。

必ずしも今の安定思考から飛び出る方針でなくてもいいから、その中で自分のしたいことをやっていけばいいのかなって。

 

何となくではありますが、今後こういうふうにやっていきたいというものが見えてきた年末です。

 

 

それから、2019年の初めに体調が悪かったのは、膠原病が疑われましたが最終的には診断がつくような状況ではなく、スッキリしないままなんとなく快方に向かって終わりました。

今から思えば自律神経失調症に近いものがあったと思います。

また、そのときにあまりにもたくさんの検査をしてヒヤヒヤしたり、結果を見て一喜一憂した経験があるためなのか、より体調に敏感になってしまいました。

よくなったあとも、少しいつもと違うところや不調を感じ取ると「何か重大な病気があるのではないか」と心配になることもありました。

(こういうのがひどくなると心気症という病気があるらしいです。)

ある研究結果によると、健康に対して悲観的になりすぎると逆に心疾患になりやすいというデータがあるようです。気にしないのも悪いけど、神経質になりすぎるのもよくないかもしれません。

 

心身ともに健康でいることは大事だと思っていて、そのためにも2020年はスポーツや食生活の見直しをやっていきたいです。

 

 

まだまだの自分ですが、これからもよろしくお願いします。

どうか今日だけはこの話を聞いてほしい

2019年のM-1グランプリは、決勝初進出のコンビがほとんどという、あまりこれまでになかった展開の年でした。 

 

今日は、視聴者を色んな意味で驚かせているであろう「ぺこぱ」というコンビの話をしたいと思います。

  

 

 

私は、2014年に初めて彼らを知りました。 

当時は、まだぺこぱのことを知っている人は少なかったんじゃないかと思います。

そのときは松陰寺さんに直接メールしてCDを買ったりした時代で、地道な活動をされている感じでした。(今でもメールして頼んだら売ってくれるのかもしれないけど笑)

 

初めて見たときからネタの発想や笑わせ方が自分好みだったから応援していました。

でも、今になって思えば、応援していたもうひとつの理由は芸歴も長くて売れてないのにめげずに頑張っているし、人間的に憎めなかったということもあったかもしれません。

とても不思議な理由ですけどね。

 

 

そして、どこか自分のことと重ねて見ていたんです。

数年前まではM-1にも2回戦か3回戦敗退って感じで、全く評価されていないわけではなかったでしょうが、素人目にも「うーん難しいかな」という感じで、Gyaoで配信される3回戦動画で見れたらいいほうだなあと思ってて。

 

その5年前、失恋した自分に対する自虐やヤケクソの意味もこめて「ぺこぱがM-1の決勝に出るなんて、私が結婚するのと同じくらい難しいと思う」とツイッターに投稿していました。

人生、大体これはこうなるかなという予想通りになることもあるけど、やってみないとわからないこともあるっていうのは、こういう出来事が起きることを指しているのだと思います。

 

 

応援しているの立場で言うのも変だけど、2人にはお笑い以外に向いていることがあるのかも、と思ったこともありました。

私はこの数年間、M-1以外では時々ツイッターや活動情報を見ていたくらいですが、なんとなく「もうそろそろやめてしまうのではないかな」と思ったタイミングもありました

実際に「この時、実はやめようと思っていました」という発言をしていたのを聞いたことがあります。どのくらい本気で思っていたかはわかりませんが、やめようと思ったことが何度かあったのは事実のはずです。

 

 

だけど何か、才能の欠片が何か花咲いてほしいと思ってずっと陰ながら見守っていました。 

最初からすべてのスタイルを知っているわけではありませんが、彼らは漫才のスタイルをこれまでずーーっと変え続けてきていたからです。

ボケとツッコミの立場も以前は逆でした。

M-1で礼二さんにもキャラが確立されていないと指摘受けてましたが、ボケのシュウペイくんは、同じようなことをいろんなところでいろんな人に言われてきたと思います。

私はぺこぱのファンになってから、知っている限りのお笑い好きの人にはほぼ全員、動画を見てほしいと言いました。

みんな面白いと言ってくれましたが、シュウペイくんに関してはあまり良くないコメントが返ってくることも多く、私の母は「松陰寺くんはとても面白いけどシュウペイくんは印象がない」と言ってました。

圧倒的に印象は松陰寺で、彼は自分の在り方について考えることもあったのではないでしょうか。もし私が彼の立場だったら「やめない」っていう選択は絶対にできないと思います。

誰もそんなこと評価しないかもしれないけど、彼があのキャラクターでずっとやめずにここまでやってきたということ、私は本当にそれが結構すごいと思っています。

そして、松陰寺くんも、そういうふうに思われがちな「シュウペイくんを活かすネタを完成させるまでやめなかった」というところもあります。

素の面白さもさることながら、応援し続けていた理由は、そういうこともあります。

 

私が知る限り、最初は普通にスーツを着て王道っぽい漫才をやっていて、今の着物キャラ漫才の前はヒップホップ漫才?をやっていて、かなりガラっと手法を変え今の「松陰寺」スタイルに変わり、それからも数年苦戦して今の「誰も傷つけない漫才」を編み出したようです。

 

少しいい感じになってきたな、と思ってたら2019年におもしろ荘に奇跡的に出演できて。

確かにすごいけど存在感のインパクト採用もあるかもしれない(ごめん)と思っていたら、何故か優勝していて。

まぐれかもしれないけどすごい!と思って半信半疑で見ていたら、その後もあまりテレビとか出れていないようだということを知り。

ああ、やっぱりか…と思ってたら、M-1で初めて準々決勝の壁を超えて準決勝に行き、ここまででも上出来だし、今年はうまくいっても準決勝までかなあと思ってたら見事決勝に進出していました。

しかも、決勝でも怒られる枠になるのではないかと最後まで心配していたら、まさかあの和牛を破るという奇跡が起こりました。

 

 

こういうことを言うとまたあれですが、私はぺこぱのファンではあるけど、本当は和牛に優勝してほしいと思っていました。 

和牛も本当に苦しくて悔しい思いをしてきたと思いますし、和牛の2本目のネタ(多分これが勝負だと思って取っておいたであろうネタ)を見たくて仕方がなかったです。

実力で言うなら和牛が決勝に進出するのが順当だったのではないか、と今でも思っています(とはいえ今年は2016年や2017年ほどの勢いがなかった気がするし、和牛がストレートで上がれなかったことにも納得はしていますが)。

 

同じように思ってる人も、ぺこぱに3位をもっていかれたことに対してなんだか腑に落ちないと思っている人もいるであろう中で、もし一つぺこぱが和牛に勝っていたと言えることがあるとしたら「変わっていく貪欲さがあった」ということじゃないかなと思います。

 

 

自分が何が苦手で何が得意なのか、自分の強みが何なのか、勝負できる点があるとするならどんなことなのか、ということに着目して、ずっとそれと向き合い続けてきたんだなあ、と思います。

売れない時代が続き、もうそろそろ潮時だと思って「やめる」選択肢を選んだ芸人さんは何組もいると思います。

 

ここまで来てもやめないという選択肢をとっている彼らがいることは正直意外で、ここに来てこういうスタイルで結果を出しているということは、予想だにしませんでした。

 

 

申し訳ないけど、本当に難しいと思っていたので、彼らの粘り強さは大したものです。

 

 

「これじゃないかも」と思って次に挑戦し、「これも変えたほうが良いかも」と思ってまた全然違うことをやり、その繰り返しだったのではないかと思います。

万人が何か「これはすごいな」と評価する才能に溢れていなくても、それでも何か実現できる可能性みたいなものを見た気がします。

 

 

笑いの形は様々ですが、来年もまたM-1を楽しみにしたいと思います。

 

 

 

 

結婚をめぐる友情の問題

アラサーになってから、結婚をめぐる友情の問題について考えることが何度かありました。

 

なぜなら、同世代の友人の多くは私よりも先に結婚したからです。 

そんな自分がいざ結婚することになって「関係性が深い未婚の友人ほど結婚のことを言いにくいな」という気持ちでいっぱいでした。

 

 

 

とはいえ、言わないというのは違うと思うし、言うとなるとなぜか気が重いような気がするし、どうしたらいいのかわかりませんでした。

ここまで読んでいただいた方はお察しの通り、どちらにしても相手を傷つけるのではないかという気がしたからだと思います。

 

関係の薄い相手なら結婚したことなんて軽く言えると思いますし、相手もあまりどうとも思わないと思うのですが、友人に対しては「言えないな」と言う気持ちがあって。

 

 

 

逆に、私がそういうふうに思ってること自体がマウンティングに感じる人もいるだろうし、実際私はひねくれているので、相手の立場だったらそう思うかもしれません。

なるべく気にしていないようにさらりと言いたいと思いながら「それもまたそれで嫌味に聞こえるのかもな」などと悩みました。

 

 

自分が未婚だった時、友人に結婚を報告された時の気持ちを思い出しました。

おめでとうと言いながらも大体いつも複雑な気持ちや焦りが押し寄せてきたので、そういう気持ちになるのはもう嫌だなと思ったものでした。

繰り返しになりますが私はひねくれているので素直に喜べない部分があったのかもしれないし、万人が私と同じように思うかどうかはわかりません。

でも、大事な友人であればあるほど、自分のせいでそういう嫌な気持ちになってほしくないと思うわけです。

こんな私個人のライフイベントによって相手にプレッシャーをかけるようなことはしたくないし、客観的におめでたいことであってもその人が不快になるようなことは言いたくないですしね。

 

だからって言わずに済ませるかというと、それはそれで自分に過剰に気を遣われているような感じがして嫌なので、やっぱり言うしかないのではないかと。

 

 

でも私は私でやっぱり寂しかったんです。

これまで未婚だった時、既婚になった友人とは少し疎遠になってしまった。

世の中の同世代の人の中には、未婚既婚関係なく仲良くできている人もいるかもしれないけど、私の場合はそうでした。

この理由は多分、ひとつは単純に結婚したら色々と新生活で忙しく、これまでのように遊べなくなったということもあるし、もうひとつは向こうから私のことを誘いにくくなったということ、そしてもう一つは私も誘いにくくなった(新婚さんだから悪いかなとか)ということ。

ある意味仕方がないのはわかる。

 

私も未婚で仲良くしてもらっている友人とはどうしても疎遠になってしまうだろうなと思うと、仕方がないかもしれないけど、とても寂しかった。

 

 

実際、アラサーになると婚活や出会い探しをしている友人も多く、私もそうでした。

友人の結婚に対しては本当によかったねとは思うけど、一方で相手すらいない自分が情けなく、惨めな気持ちになったことがあります。

だから友人にはどういう風に話していいのかわからないんです。普通に「結婚したんだ」って言うしかないですけどね。

 

 

私は結婚して数ヶ月がたちましたが、友人への報告は上に書いた理由で迷いながらも、先延ばしにしてしまいながらも、今、ほとんど全員に報告できたという状況です。

 

実際に報告して、みんなが驚くほど「良かったね」と言ってくれるので、私は申し訳ないやら、嬉しいやら、自分が器の小さい人間だと思うやら、でもやっぱり嬉しいやら、なんとも言えない温かい気持ちになりました。

もちろん、友人だって腹の底ではどう思っているかはわかりませんが、それでもそういう風に言ってくれることに感謝しかなかったです。

 

 

特に仲のいい友人には最後まで言い出せませんでした。なぜならその子が婚活で苦労していたことをよく知っていたからです。

「あーあ、私も結構頑張ってたと思うんやけどなー」と友達が言ってくれたので、ホッとしました。

それに、これからも良かったら遊んでほしいとも言ってくれたし、実際にこれまで通り普通に遊びに誘ってきてくれたりもしています。

 

 

今まで自分が友人たちに向けて、割とそっけない祝福をしたのではないかということが心底申し訳なく、またふてくされた態度だったと思い知らされました。

正直に自分の気持ちを言ってくれながらも、相手の幸せを素直に喜べる友達のような人間になりたいものです。

 

でも一方で、そういう気持ちを持っている優しい人だとしても、時と場合によってはそうなれないケースも多々あることを理解しておいたほうがいいなとも思った。

もし今後そういった場面に出逢って同性の友人と離れることがあったとしても、今は仕方がないと思って受け入れたり、いつかまた仲良くできる時が来るのではないかと思うことにしたい。

 

 

自分が既婚者にならなければ「結婚した側の気持ち」が推測できなかった過去の未熟な自分も相変わらず子供だなあとは思うけど、こうやって1つまた新しいことに気付けただけ、ちょっとは成長できたのかなと思っています。